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ベルリン在住で、オンラインの出産準備コースに参加していただいた諏訪さんご夫妻から体験談を送っていただきました。​​​

 

ご無沙汰しております。出産前は大変お世話になりました!

ご報告がすっかり遅くなってしまいましたが、無事娘が産まれました。

 

予定日を超過したころから妊娠高血圧症候群になってしまい、陣痛促進を2日とちょっと続けた後、緊急帝王切開での出産でした。

お産は何があるかわからない…と頭では理解していたつもりでしたが、次から次へと起こるいろんなことにキャパオーバー気味の3日間でした笑。でも娘はずっと元気で、スタッフさんも優しく、ファミリールームで夫にも一緒に病院に滞在してもらい、家族で乗り切れたと思います。

 

娘が生まれる前は、赤ちゃんがいる生活ってどんなんだろう。大人だけの時間がなくなって大変なのではないか…といろいろ心配でしたが、娘が来てみると思った以上にかわいく、面白い動作もたくさんしてくれて(変なポーズなど)、楽しみがたくさんあるという感じです。ボンディングも毎日しています。あとは、無事大きくなってくれることを願うばかりです!

 

そういえば、陣痛の間、永田さんの準備コースでもお話をいただいた痛みの緩和のための処置を受けました。座薬の痛み止め、お風呂、PDAです(PDAはあまり効かなかったですが…涙)。

個人的1位はお風呂でした!そのとき担当してくれたヘバメさんがとても優しかったこともあり、本当に痛みが和らいで驚きました。

 

オピオイドも提案されましたが、少しこわくてやめておきました笑。ドイツでは、陣痛の痛みに対する考え方が日本とはだいぶ違うんですね。日本の友達に聞いたところ「テニスボールで腰を押すくらい」と言っていたので、日本では薬で痛みを和らげることはあまりしないようですね。

 

永田さんが、日々たくさんの赤ちゃんとご家族を支えておられると思うと頭が下がります。本当に尊いお仕事です。お体に気をつけて頑張ってください!

永田さん

お世話になりました。夫の方の諏訪です。

娘のさくらの父でもあります。まだ、父として名乗ることが少ないので文字にしてみてもなんだかくすぐったいものです。まだ、「お父さん」と呼んでもらったこともないですし。現在は主に、「ええぇ」や「あー」そのほか「うっ」などと呼ばれております。また、私やTSUMAのほうも、慣れないもので、おなかの中にいた頃の呼び名である「ジュニアりん」とそのまま呼んでいがちです。この名はおなかに誰かがいることが分かったときに「ジュニア」と呼んでいたのですが、ドイツで娘であることが分かった際に、女性らしく「りん」をつけることで名詞を女性化したものですが、非常に可愛くとても気に入っております。さて、現在の正式なお名前を「さくら」といたしました。苗字と合わせて「諏訪さくら」です。日本的なお名前がいいかなとか、お花の名前素敵だよねとか、いちおうこっちでも呼びやすいほうがいいかななど、いろいろ、でも、考える軸がうまく調整されないまま、いくつかの案から決めたものです。ほぼ決まった!となったのが予定日の1週間前くらいでしたが、ちょっとGoogle先生の意見も聞いてみたところ(検索しただけです)、寅さんの妹と同姓同名。あ、そういえば。諏訪という名字で38年(当時)生きてきていて、絶対にこの名前を認識していたはずですが、ちょっとパニくりました。・・・が、すごく素敵な名前だし、寅さんの妹って作中最も幸せな女性な気さえする素敵な役どころなので、良しとしました。(苦労人ですが)

「諏訪さくら」美しい名前になりました。Volkshoch Schule の仲間たちにも日本の「さくら」はイメージしやすく。仲間たちから「私たちの」娘として呼ばれ、愛されております。

さくらさんは、お産の入院中ずーと元気でした。私たちは基本的にずーっとバテバテでした。分娩室などで聞いていたパワフルな心音は私たちを勇気づけ、とりあえずTSUMAの痛みをどうするのか、に集中することができました。この時点で親孝行な娘です。ズンドコズンドコいっていた音が脳に焼き付いております。他方、TSUMAは大変でした。尿蛋白が出たので、念のため産む方の病院に行ったところ、朝一の検査からずーっと待って夕方の5時まで待合室で待機。いつ呼ばれるかわからないから昼めしも食えずに待機。そこで「上級医と相談したけど、このまま入院して産んじゃいましょう」と待合室でスタッフに言われて、、、 「ま・じ・か」となりました。脳に栄養が足らないままその方向性を事実として処理しきれないまま、ちょーとだけ家に帰って、事前に用意していた入院荷物をもって、マックに駆け込みました。空腹でした。最後のシャバの飯を買い求めました。車でポテトをむさぼりながら、病院にはちょこっとだけ予定より遅刻してもどって6時過ぎでした。まだポテトしか食べられていなかったですが、すぐに検査、それに陣痛促進剤を飲んだりし始めました。もう、「これでこの夜にMUSUMEに会える」そう・・・思っていました。合間に少し冷めたハンバーガーを食べたことは覚えています。ここから記憶はとぎれとぎれになっていくのでした。《痛い・・・》TSUMAの陣痛、促進された陣痛とのバトルが始まりました。その夜に始まった痛みは、いろいろな痛みの緩和策を講じながらも、MUSUMEが誕生するその日の昼まで続いたのでした。8月27日の夜から8月30日の昼まで。最初の夜は痛みでよく眠れないTSUMA、そして隣で爆睡している気にならず、痛みがある度に背中~腰をさする僕の時間でした。これで、前日の昼の栄養不足から睡眠不測のコンビネーションで記憶力がもうなくなってしまいました。でも開けた28日には産まれると思っていました。初期の陣痛から初産婦で13時間?とかの出産平均など思っていたからです。平均ということは長い場合もあるし。まあ、28日で生まれるのかなと。パラリンピックの開会式の日に生まれるから「パラ子」だなんて言っておりました。開会式の始まりは入院していた部屋で観て、風呂のある分娩室に途中で移動して、陣痛促進剤を追加で飲みながら続きを観ました。陣痛の波とMUSUMEの心拍の波が重なった大きな波がグラフに出ていたのを覚えています。開会式は無事に終了しました。私たちは陣痛との闘いを続けました。お風呂に入れてもらったんです。痛みが和らぐよってことで。かわいいお魚がたくさん描かれたお風呂でした。ぬるいお風呂に入って、痛みは和らぎました。スタッフの皆さんはとても優しく、いったん和らいだ痛みを入院の部屋に持ち帰りつつ、二人は眠りました。「アレ?MUSUMEは出てこないの?」と思いましたが、とりあえずもう痛みをやわらげて眠ることしかできなくなっておりました。あけて翌日オキシトシンを打ちました。恐怖の幸せホルモンという印象になりました。ますます痛い。子宮口はあんまりひらかない、無痛分娩用の注射を打つことにしました。当初の僕らの方針では打たない予定だったものです。理由は2つ①麻酔は分娩の痛みを和らげるもので、陣痛を和らげるためじゃないからどのみち痛いの経験しなきゃなら要らない。②確立された技とはいえ、脊柱を触るのってなんか怖い。(僕が脊髄損傷で神経やっているのもあるかもしれません)が、しかし、打ちました。ぐったりしながら、背中の空いた手術着で注射を打たれるTSUMAはかわいそうで、目に焼き付いております。しかし、効果あり!その絶大な効果により、その夕方から落ち着き、夜も眠れたのでした。

「・・・アレ?MUSUMEは?」まだ出てこないその娘、その心臓は、ズンドコズンドコととっても元気なのでした。僕はその晩自宅往復1時間滞在1時間で風呂に入ったり洗濯したりしました。TSUMAは麻酔中なこともあり分娩室で眠り、僕は病院に深夜に戻り入院室の家族部屋で眠りました。開けて翌朝。実際には運命の朝。TSUMAは眠れていたようでした。が、それも朝まで、麻酔打っているのに痛い。肉体と、そしてなにより精神の限界に達しました。MUSUMEはズンドコ元気です。「疲れた脳が不慣れなドイツ語を聞きとります「・・・カイザー・・・」

《カイザーをすることにしました》

それは決断でしたが、救いでした。前日の麻酔も怖いものでしたが、それでも救いでした。そして、カイザー、手術は少し怖い。でも救いです。もうここで、救われてしまおう。少し怖いけど、すぐに手術の準備にかかり、昼にはTSUMAは着替え、手術に向かいました。人生初めての手術らしい手術です。怖かったことと思います。僕は笑顔でいることしか、一緒にいることしか、声をかけることしか、見送ることしかできませんでした。僕にできることはほんの少しで、たくさんの方たちの力を信じ、そして、いつも身近ではない“かみさま”にもお願いをしました。手術は進み、別室待機していた僕も手術室に呼ばれました。そこにはたくさんの人に囲まれたTSUMAが横になっていました。TSUMAと僕の目の前には僕たちが“いのち”を見ることができるように透明なマドの空いた手術の幕があって、その先に麻酔が効いたTSUMAの大きなおなかがありました。一言か二言か声をかけたでしょうか、すぐにその時が来ました。マドの先に“ちいさなこ”がいました。僕は「ジュニアりんだ!」って言いました。その小さな存在を僕たちの娘として確定させたかったのかもしれません。いままでお腹にいた。おなかにいるとされていたが、目にすることができなかった命が本当に僕たちの娘だと。そう確信したことにしたかったんでしょう。その声はTUMAにも伝わり、そして興奮のなか、笑いながら泣きました。MUSUMEも泣きました。大きな声ですぐに泣きました。僕は震える手で臍帯を切り、MUSUMEはTSUMAの胸の上へ、もうろうとするTSUMA。興奮する僕。ふやけた体のちいさなMUSUME。僕とMUSUMEは先に分娩室にもどり、ボンディングをしました。壊れそうなほど小さな体を受け止め僕は感動していました。その一方で娘は僕の胸の上で胎便をしました。手が緑の便でべっとりです。TSUMAも戻り、ボンディングをして、最初の授乳をしました。僕たち夫婦は親に、僕たち3人は親子になったのでした。

いま、MUSUMEは僕の後ろのソファーベッドで眠っています。たくさん飲んだ母のおっぱいを消化してうんこを作る活動にいそしんでいるようです。寝相が悪く、両手を挙げて寝言を言っているのはよくTSUMAに似ています。TSUMAはその隣でいつでも授乳をできるよう、万全のスタンバイをしながらスーパーファミコンミニでパズルゲームの連鎖の腕を磨いています。この時間は幸せです。

娘は健やかに安らかで、妻は穏やかに楽しそう、僕は朗らかです。

おむつも授乳も寝かしつけも、ちょっと大変だけど、愛おしい時間です。

最近はお歌もたくさん歌っています。

いろいろ大変でしたけど、僕たちはこの幸せにたどり着きました。

みんなみんな、ひともじかんも、すべてのみんなに感謝です。

永田さん、ありがとうございました。

________ ___ 晃、さくら、朋子_edited.jpg

諏訪さんご夫妻へ

4日間にわたる出産、さくらちゃんと共に家族みんなで乗り越えられましたね!本当におめでとうございます。

お産は何が起こるかわからないしひとりひとり違いますが、『母子共に無事に出産する』という目標が見事に達成されて私も嬉しいです♪ 産痛緩和の考え方は日本とドイツではかなり違いがありますよね。自然に任せることからマックスのPDA(無痛分娩)までたくさん産痛緩和の選択肢があり、お産中の状況に合わせてその場で色々試せることがドイツでの出産の魅力だなと思っています。お風呂文化の私たち日本人には入浴がかなり合うように思いますので、これからお産される方、陣痛中に助産師から提案されたらぜひぜひお試しください♨︎

パパサイドからの壮大な出産体験談もありがとうございます。ずっと付き添われていたことは心身ともに簡単なことではなかったと思いますが、TSUMAさんにとって精神的にも大きな助けになっていたのではないかと思います。窓のある帝王切開のシートや帝王切開でパパが臍の緒を切ることは、私の働く病院にはないので羨ましいです!コースの時から楽しみにされていたBondingもたくさんされてパパとさくらちゃんとの絆もしっかり結ばれていそうですね(これぞまさにBonding!) コースで私ができることは私の知識と経験からみなさんの準備に必要なものを伝えていくことですが、それをもってこうして夫婦お二人でおふたりの赤ちゃんを迎え家族になられていかれたことを教えていただけて、コースを開催する意義を深く感じることができました。こちらこそありがとうございます。

引き続き健やかに安らかにさくらちゃんが大きくなってくれますように、そして諏訪さんご夫婦がさくらちゃんとの生活でたくさんの喜びや幸せに満たされるよう願っています☺︎       永田より

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